まつりの歴史

「ふくいまつり」の根源は、昭和21年(1946)の7月19日に開催された「福井市復興記念祭」にある。 昭和20年(1945)7月19日、福井市は焼失家屋2万6千戸、死者1600人にも及ぶ被害を出す大空襲を受けた。早期の再建はとても不可能とされた中で市民の復興への熱意はめざましく、当時の福井市長(10代:熊谷太三郎)が、空襲からちょうど1年後、戦災犠牲者の冥福を祈り、併せて市民の復興意欲をより一層高めようと、この復興記念祭を計画した。 復興記念祭は翌年も開かれ、第3回も昭和23年(1948)に計画されていたが、開催直前の6月28日の福井地震によって中断せざるを得なくなり、戦後の順調な復興も振り出しに戻ることとなった。 しかし、こうした中でも、行政・市民一体となった復興への意欲は途切れることなく進み、昭和27年(1952)にはおおかたの復興が完成、これを祝福すべく昭和27年(1952)4月に「福井復興博覧会」が、県・市・商工会議所の共催によって盛大に開催された。「ふくいまつり」は、こうした経緯をうけて、第1回目の開催を迎えることとなる。

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相次ぐ災害に屈することなく、打ちのめされても更なる躍進を目指し見事に復興を成し遂げてきた福井市では、昭和29年(1954)、市長(10代:熊谷太三郎)の創意によって、福井市、福井商工会議所、福井観光協会の共催、福井新聞社後援のもと、同年の7月28日~8月3日の7日間にわたり、第1回ふくいまつりを開催することとなり、これが現在の「フェニックスまつり」へと継承されてきた。 第1回の「ふくいまつり」の開催内容は、実に盛りだくさんな内容であった。記念式・慰霊祭、市民水泳大会、NHK納涼演芸会、仕舞・狂言、子供みこし大会、体操まつり・市民運動会、東京大相撲、マ杯記念軟式庭球甲信越地区予選、弓道競技大会、市民俳句大会、大広告祭、全国高校野球北陸地区予選大会、第3回福井県繊維物見本市、納涼花火大会、中央デコレーション、祝賀大売出し・店頭装飾照明コンクール、ラジオ福井納涼大会をはじめ、その他にもさまざまな催しが行われている。 第2回目以降、行事の内容は年々賑わいを増し、時代の変遷とともに出し物の内容に多少の違いはあるものの、まつりとあわせた協賛行事の開催も年々盛んになるなど、「ふくいまつり」は行政・商店街・市民が一丸となったお祭りとして、福井県を代表するイベントとなった。

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